近年のテラヘルツ(THz)周波数領域(0.1-10THz,3-300cm-1)の分光技術の発展により,低周波数振動モードの高感度・高速な分光が可能になった.有機物固体のTHzスペクトルに観測される低周波数振動モードは,分子間振動を主成分とするため,分子集団や結晶の構造,高分子の高次構造などを反映する.THz分光やイメージングは,高分子の高次構造の変化や空間分布を可視化できることから,新しい高分子構造解析手法としての可能性が期待されている.これまで,理研のグループはポリヒドロキシ酪酸やナイロンなどのポリマーのTHz分光研究を行い,THzスペクトルからポリマーの結晶化度や高次構造の配向が得られることを示してきた.1,2さらにTHzスペクトルの量子化学計算手法の研究も進めた結果,低周波振動モードの精度の良いアサイメントも可能になってきた.3,4
一方,THz周波数領域には水の強い吸収が存在することが知られており,1THzより低い周波数では水分子の回転緩和が,数THzより高い周波数では分子間振動が観測される.これらの吸収は非常に強く,水の運動状態を反映している.本研究では,このようなTHz分光の特徴を活かし,高分子結合水のTHzスペクトルの測定とその構造解析を試みた.特に6THz付近に存在する水分子の分子間伸縮振動モードに注目し,吸湿に対するスペクトル強度と形状の変化を観測した.
測定対象にはエチレンビニルアルコール共重合体(EVOH)を用いた.最初に真空乾燥機で試料を脱水し,吸収スペクトルを測定した後,一定の湿度環境におかれた調湿箱内に一か月間放置し,吸湿させたものを再度測定した.同時に同様の条件で吸湿したサンプルの重量測定も行い,吸湿量を求めた.吸湿前後の吸収スペクトルの差分から,EVOHに吸着した水のスペクトルが求まる.本研究では吸光度の差分を試料の厚みで規格化し,プロットした.
下図に(a)EVOHのDaと(b)液体の水の吸収スペクトルを示す.スペクトル形状は,約6THzにピークを持つブロードな吸収であることから,水の分子間伸縮振動モードであると考えられる. EVOHの結晶化度が低くなるとDaが増加することから,結合水がポリマー中のアモルファス構造に結合していることがわかる.また,ポリマーのビニルアルコール濃度が増えるとDaが大きくなることから,結合水はポリマー鎖のOH基に結合していることが分かる.
さらに,結合水のスペクトルと液体の水のスペクトルを詳細に比較すると,液体の水ではスペクトルのベースラインが右肩上がりであることがわかる.液体の水では5.3 THzの分子間振動モードに加え,20 THz付近にライブレーション(秤動運動)モードが存在するためだが,結合水ではライブレーションが弱くなっている.ライブレーションは液体の自由度から来る運動モードであり,氷では存在しない.したがって,EVOHの結合水は液体ではなく,氷のように強く束縛された状態であることがわかった.さらに,分子間振動モードの周波数も結合水では液体に比べて高周波数側にシフトしており,強い水素結合ネットワークに束縛されていることを示唆している.